大学偏差値に面接入試という形式は必要なものだろうか。無論、面接形式ならばその場の設問で、幅広く総合的な受験生の特性を把握することができるだろう。だが、どの大学を受ける受験生の数も膨大である。その全員に面接を行うことはかなりの負担となる。なので結局は、筆記試験の後で絞られた少人数に面接入試を行うというのが一般的であり。その場合、筆記試験の結果である程度合格が決まってしまっていることもあるだろう。そんな儀礼的な面接にもメリットはある。偏差値は高かろうとも人格的に問題がないというわけではない。そういった優秀な問題児を抱え込んでしまうのを防ぐフィルターにはなるので、そういった形式が続いているのである。とはいっても、優秀な偏差値であればよほど問題がない限りそういったことにはならないだろうが。
息子は中学2年生ですが、高校入試と大学情報の資料を同時進行で集めています。東京や関西圏と違って、私の住む地域では家から通学できる範囲の高校の大学進学率が低いので、高校から県外での寮生活を始める子どもさんが珍しくありません。我が家もずっと子どもの進路については悩んできましたが、ようやく県外へ出すことを決心しました。寮生活できて、大学への内部進学が可能な高校という条件は探すのに苦労しましたが、早い段階から高校入試と大学情報を同時に集め始めたおかげで良い学校を見つけることができました。早すぎる巣立ちに心配はつきませんが、子どもの将来のため離れて見守ろうと思います。
大学偏差値と入試は変革すべきである。大学偏差値は標準的な学力を測るものであり、大学はそこから逸脱した専門的な分野の学問の場である。その両者の関連性は全くないとは言わないが、薄いと言って差し支えない。実際には必要のない知識なども含められているのが現状だ。それが大学に入る入試に組み込まれているのである。非合理なことだ。そもそも、総合的な学力が義務教育レベルで十分であり、その先はそれぞれが進む専門分野に移行すべきであるが、義務教育の後に三年間高校教育がさらに総合的な教育をしてくれるので、実際に専門分野を学ぶのは、最低で四年となっている。それ以上学ぶには院に進むしかない。より専門的な人材を育成するのなら新しい入試の制度と基準を設け、高校生活から変革すべきだと考える。
先日、息子の通っている進学塾の保護者会で、高校入試が大学進学の時の勉強の仕方を身につける良い機会であるという話がありました。確かに、塾では参考書や辞書の活用の仕方、付箋やカラーマーカーを使った効率的なノートのとり方などの指導があります。もちろん、今のうちにしっかりと身につけてもらいたいと思っているのですが、用意した文具や参考書類がほとんど活用できていません。まだ2年生なので高校入試や大学進学への実感がないようで、彼のマイペースぶりには悩まされています。3年生になったら、きっと高校入試や大学進学の大切さに気付いてくれるものと信じてサポートしていきたいと思います。
大学偏差値に小論文が評価できるのだろうか。小論文に限らず文章形式の解答の採点は難しい、文章というかなり自由な表現方法の部分部分に点数をつけるのは困難であり、どうしても全体を通した評価となるからである。そのような曖昧なものと大学偏差値というきっちりとした基準は水と油だ。だからこそ、大学入試には必ずといって良いほど小論文が組み込まれる。それは偏差値のみの判断では大学も不安だからである。だからといってそれが成功しているとは言い難い。現在では大学の出す小論文にも傾向と対策が出て、どのような傾向の課題に、どのような文法で書き、どのような点に気をつけるべきかなど事細かに参考書ができているからである。それを元にして、実際に高い偏差値の受験生は小論文でも高い結果を出している。
娘は高校入試から大学合格まで個別の塾にお世話になりました。通信教育も続かず、塾の集団授業にも馴染めず成績は下がる一方。中2までは私の悩みは増えるばかりでした。そんな時、近所に個別塾が出来たので無料体験に行かせてみたのです。すると、娘から「通ってみたい!」という言葉が。個別ブースでの1対1の指導は周りに気兼ねなく質問もでき、マイペースな娘には合っていたようです。おかげで中3になってからは成績も伸び始め、高校入試でも無事に第一志望に合格し、その後も個別塾に通い続けた結果、見事国立の大学合格を果たしました。子どもというのは、環境によってこんなにも伸び方が変わるのかと、今さらながら感じています。
そもそも大学偏差値で有名進学校は有名進学校として名声を高めたのである。まず、高い大学偏差値を得た大学が難関大学となり、そこに合格する受験生を送り込み続けた学校が、進学校として着実に有名になっていく。そして、その名声に引き寄せられ、さらに有名進学校に入学希望者が集まり、その中から優秀な学生のみを選んで入学させ、優秀な受験生として送り出せば、また難関大学を合格してくれる。良くできた循環ビジネスである。このような教育機関だからこそ、学問の場と言うよりもビジネスの場としての特色が強く、学生の高校生活よりも偏差値を重視する傾向にある。それを覚悟してその道を選ぶのならばよいのだが、それほどの覚悟がないのなら一度考え直した方がよいだろう。実りある青春を送るという道も悪くない。
中3になってから、高校入試と定期テストの勉強を両立させるのがとても大変で悩んでいました。塾にいる時間が長くなり、試験前でも宿題がたくさん出るので、テスト勉強がはかどりませんでした。内申点の事を考えると、高校入試を定期テストより優先させることもできずに、1学期はどちらも中途半端な勉強になってしまい、学校でも塾でも成績が下がるという結果になってしまいました。2学期になってこの事を塾の先生に相談したら、高校入試と定期テストの両方の対策になる勉強の仕方を教えてくれました。おかげで今月の中間テストでは要領良く勉強でき、成績も挽回できそうです。一人で悩まずに、もっと早く相談すれば良かったと思いました。
大学偏差値に男子校を選ぶのは有効な策だろうか。確かに異性同士を同じ空間に居させれば雑念が生まれるのは事実である。だからといって、男子校など男子だけの空間を作ればそれは学習意欲につながり、偏差値が上がるものだろうか。答えは否である。そもそも、受験勉強に邁進できる受験生は共学にだろうと存在するし、異性を受験勉強の妨げだというのは本人かその週以下による自己弁護、言い訳である。そのようなタイプは、男子校に通ったところで、そこでまた別の興味の対象を見つけ出し、それに気を取られ受験勉強に対する関心を薄めていくだろう。受験勉強に専念するために男子校に行く、もしくは専念させるために送り込むのは、はっきり言って無駄であるとしか言えない。
息子は高校進学で高校講座を参考にしました。息子が進学を希望した高校は難関高校でしたが、塾には行きたがらなかったので、自分で勉強を進めることにしました。志望校の過去問題を見ていると高校レベルの問題まで出ていたことがあり、難関高校の難しさを感じました。ちょうど高校に通う兄が高校講座を利用していたので、息子も参考にさせてもらったようです。また、兄にも直接教えてもらうこともありました。1人で勉強していたら難しい問題にぶつかった時には嫌になっていたことと思います。兄の助けがあったので、受験を乗り切ることが出来ました。
女子受験生の方、大学偏差値で女子大の良さを見過ごしていませんか。女子学生のための大学は、設立時より女性のための設備を用意し、快適に勉学にいそしめるように配慮している大学なのです。それは大学偏差値でははかれない女子大の良さであります。さらには女子大生という年代の女性に世間は誘惑が多く、なかなかに勉学に集中できない。そこで女子学生だけの大学の有効性が発揮されるわけです。ですが大学偏差値だけで大学を選んでいくと、そのような女子大の良さを見過ごしてしまい。より困難な大学を選んでしまうことになってしまいます。女性で上級教育に進むことには障害も多いと思います。そこでその障害を少しでも減らすために、大学偏差値にとらわれずに女子大に目を向けてはどうでしょうか。
娘が高校進学をする時は、模試を受けて合否判定をチェックしました。模試は志望校の偏差値に対して自分がどれくらいのレベルにいるかをチェック出来るので受験勉強中には欠かせないものです。ただ、結果に一喜一憂してしまうこともあるので、それも善し悪しだと感じました。娘は結果をすごく気にするタイプで結果が悪いと途端に不機嫌になったり落ち込んだりするので、模試の結果を見る時は要注意でした。塾の先生からは模試で出来なかった問題が見つかることの方がラッキーで、それを地道にやり直すことが大切と言われていたのですが、自分の努力が報われないことが悲しかったようです。逆に言えば、模試の成績が良い時は、どこまでも上がっていったので、その調子を維持していくようにしました。
大学偏差値は女子高などではどのように受け止められているのだろうか。当然ながらこの国は男女同権で、受験にも大学偏差値にも男女は関係ない。だがしかし、大学を卒業して社会に出てからもそれが通用するというのは、残念だが幻想である。女性も男性と同じように仕事を任せられ、出世するならば、あちこちで男女同権の促進などの主張は叫ばれていないだろう。現実問題として未だ男性社会であることは疑いようがない。その現実は多くの人が認識している。その認識の上で、男女の区別のない評価である大学偏差値に、女子高などの学生はどのような感慨を抱いているのだろうか、興味は尽きないが知るすべがない。できるなら将来に希望を抱けるような、肯定的な受け止め方をしてほしいものである。
息子は高校進学から大学入試を意識していました。息子は大学に入る為の高校という考えでいたようです。難関大学に進みたいという希望があったので、そこを目指す為の高校選びをしました。難関大学を目指すのはやはり難関高校になります。上を目指していくのは素晴らしいことですが、正直息子が過酷な受験勉強を乗り越えられるのか不安はありました。性格的に飽きやすいので、集中力が続かないのが悩みでした。ですから、受験勉強も長時間だらだらやるのではなく、短時間で集中して進めた方が効率が良いタイプでした。やりながら色々工夫をして受験を乗り越えました。
大学偏差値に共学では不利であるなどと考えてはいないだろうか。異性と一緒の空間にいては学習意欲が失せるとか、集中ができないとか。考え方がふるいにもほどがあるけれども、大学偏差値以外に目が行かなくなった人にはそんな考え方が浮かびやすい。そんな人たちは、勉強以外の要因、特に若者に必要な娯楽やリラックスなどの時間などを徹底的に忌避するようになる。そのようなことをする人間を軽蔑すらするようになる。危険な兆候である、本人にとって。本来必要な楽しみや余裕を敬遠して、過酷な受験にばかり身を投じていれば、心身に異常を来すのは当然の結果である。良い大学に入った人生よりも、良い思い出を持った人生の方が価値があると知るべきだ。